コロナ対策と五輪開催という矛盾の前提にある無責任の構造

20210425の記事アイキャッチ 雑記

政府と自治体の、矛盾だらけで後手後手のコロナ対策にうんざりしている人も多いと思います。

もはや突っ込むのも嫌になるほどの体たらくですが、この酷い状況には大きく2つの原因があると思います。

  1. 誰も責任をとらない
  2. 優先度が決められない

1に関しては言わずもがなですが、緊急事態宣言の発令のプロセスを思い浮かべて頂けるとわかりやすいです。

都道府県知事たちは自らに緊急事態宣言を発令する権限がないことをアピールしながら、「国に要請する」ということをアピールします。逆に国はあくまでも主体は地方自治体にあるので、「要請が来たら検討する」というスタンスをとります。

要請しているのは自治体、発令しているのは政府という、判断主体が分断されたこの構図が責任の所在を不明瞭にしています。そしてこれは責任を取りたくない日本の責任者たちには、非常に都合の良いものとなります。

こういった判断のプロセスを多重化、複雑化させて責任の所在を不明瞭にするのは、日本のお家芸とも言えるもです。例えば大企業内のでの承認プロセスなどが典型的な例で、大組織になればなるほど担当者に一切権限を渡さずに、責任を取らない無責任者たちが多方面から口だけ出す仕組みになているので、ネゴに時間がかかり責任の所在も不明瞭になるわけです。

次に2に関してですが、国民から権利を委任されている政治家が、もっとも優先すべきは国民の命を守ることです。こんなことは議論以前だとも思うのですが、どうにも現政権や与党界隈の政治家の方々には、この前提が通用しません。

人々の命を守ることが最優先という、ごくごく当たり前の認識を全ての判断の基準にすれば、五輪開催などそもそも議論する必要もなくなります。

まずは人々の命を脅かすパンデミックを収束させることが最優先なので、その生命線である医療従事者を守り、医療体制を拡充する。検査体制を強化し、陽性者の隔離を徹底する。ワクチンのロジスティクスを整える。こういったもの以外は優先度が下がり、ましてやそれを妨げる可能性のある「GO TO」や「聖火ランナー」など、議論など一切不要なレベルで中止と判断できるでしょう。

1と2が絶妙に組み合わさることで、無責任な意思決定者たちが乱立し、それぞれの立場からよくわからない判断基準で方針に口をだすため、現状のような珍対応が続出するわけです。

菅首相会見で東京新聞に初の質問指名 五輪と命を問う:朝日新聞デジタル
 菅義偉首相は23日の記者会見で、東京新聞の記者から「前回の緊急事態宣言で感染が微増傾向だったにもかかわらず解除したのは、聖火リレー開始時に宣言が解除されていることを優先したためとの指摘がある。国民の…

この記事にある菅義偉首相の下記の発言が、こういった無責任の構造をよく表しています。

開催はIOC(国際オリンピック委員会)が権限を持っており、IOCが開催することをすでに決めている。

首相は開催国日本の長であり、最高責任者であるにも関わらず、私たちの生命に関わる重大な決定であるオリンピックの開催に関して、私には権限がない(なので責任もない)と述べています。

感染拡大を防止する、国民の命を守るのは当然私どもの役割。そこはしっかりやりながら、五輪も対応していきたい。

そして私たちの命を守ることをもっとも優先して考えなければいけないとタテマエ上は言ってはいますが、優先度の判断ができていないため、五輪開催にも対応していくなどと矛盾する判断を平気で下すわけです。

 

企業内で社内政治みたいなものが横行するのは、出世した人こそ正義となると思っているからです。本当はそうではなく、正しい判断をして企業を良い方向に導いた人を出世させるべきなのです。そうすれば組織の中で、社内政治などではなく、正しいことを最優先して行うという力学が働き、組織の健全性を保つために貢献するはずです。

企業組織では、このような青臭い理屈がそう簡単に通るとは思えませんが、民主主義の政治の話であれば、わずかですが可能性はあると思います。現状の政治家たちの行動を徹底的に監視して、もっとも正しい判断や行動をした人に、次の選挙で投票すればよいというだけです。

我ながら青臭いとは思いますが、今年の衆院選で日本に復活の兆しがみられることを期待しています。

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