中間業者の「中抜き」って表現は、言葉としては誤用らしい。
「中抜き(なかぬき)」の本来の意味は「中間業者を抜かして、生産者と消費者が直接取引をする」ですから、「中間業者がピンはねする。上前をはねる」という意味で使うのは誤用です。
引用:都市コロブログ
ここでは敢えて「中間業者がピンはねする。上前をはねる」の意味で使用する。
建設業界に代表される商慣習である中抜きは、クライアントから直接依頼を受けた業者が、その業務の全て、または大部分を下請けに出すこと。
この商慣習の闇が深いのは、この丸投げ行為が何重にも繰り返し行われて、その都度マージンを抜かれて、末端の実作業を実施する業者・労働者には微額しか回らないことだ。
この仕組を前提に建設費が算定されるので、非常に高額な見積になることが多く、その良い例が東京オリンピックの新国立競技場の高額な建設費だと思う。
直近の各国のオリンピックスタジアムと比較して、新国立競技場の建設費は2−3倍程度高額なっているが、日本だけ建設にかかる原価が高いというのは考えづらい。
昨今の日本の人件費は先進国の中で特に高いわけではなく(むしろ低い)、建材等の原材料費が日本だけが高いとは思えない。
こういった中抜きは建設業以外にもたくさん行われていて、自分が属しているIT業界でも常態化していて、その現状は下記のブログ記事によくまとまっている。
多重な中抜き文化は労働者の低賃金化を推し進めるとともに、この構造によって優秀な人材(ポテンシャルのある若者等)は上流の業者へと流れていく。
そういったポテンシャルのある若者を多く抱えているにも関わらず、上流の業者は実作業はほぼ行わないので、優秀な人材は育たない。そして上流の業者の人材の能力はほとんど品質に寄与しない。
結局日本の誇る「ものづくり」(皮肉である)を支えているのは、中抜きされまくった中小零細事業者と低賃金労働者というのが現実だ。
また昨今政府や三文経済学者が中小零細企業の労働生産性が低く、大企業の労働生産性が高いなどと宣っているけど、電通に代表される大企業の多くがこういった中抜きによって、ほとんどコストが発生しないにも関わらず大きなマージンが得られる機会が多いからだろう。実際に中小零細事業者にはそういった美味しい話はほぼない。
日本の経済が本当に「ものづくり」を誇りたいなら、このように税金に群がる中抜き業者ではなく、中小零細企業の頑張っている人たちを守り支えることだと思う。