原一男監督の「ゆきゆきて、神軍」を観ました。
感想としては、このドキュメンタリー作品の主人公である奥崎謙三氏の、狂気とも言える得体のしれないエネルギーに、ただただ圧倒される122分でした。
奥崎氏の常軌を逸した行動や、射殺事件に関係する人々の証言などより、一番印象に残ったのは戦争がその時代を生きた人たちすべてを巻き込んで、暗い影を落としていることです。
極度の食糧難で人肉を「白豚」「黒豚」(肌の色で区別)と呼んで食べていたことを語る人、それを聞く人の躊躇いのなさが、何よりも戦時の異常性と狂気を物語っていました。
奥崎さんが亡くなって10年以上経った今、あの時、私はかなり強引に奥崎さんを人肉事件、処刑事件の方に引き寄せたが、そうではなく、奥崎さんがやりたかったことをそのまま受け入れてあげれば良かったかなあ、と思うことがある。過去の出来事を、ああすれば良かったかなあ? と選択しなかった方を、悔いを抱いて思い返しても全く意味のないことは知っている。だが、頭の中では分かっていても、どうしても、あの時、奥崎さん自身がやりたかったことを、そのまま、やっていれば、今の世の中の淀んだ息苦しさに奥崎謙三は風穴を開けたのかな、と夢想してしまうのである。
引用:監督メッセージ(『ゆきゆきて、神軍』公式ホームページ)
この辺りは原一男監督が描きたかったところなのかも知れませんね。
そしてそういった監督の意図を超えて、奥崎謙三という人間は異彩を放ちます。戦争という過ちに対し、反省し総括することもなく、平然と日常を過ごす人々や、欺瞞に満ちた国家権力に対して、徹底的に否を唱える奥崎氏の姿はある意味純粋なものだと感じました。
勿論これは奥崎氏の暴力的な行動を肯定するという話でありません。ただ、彼の行為が肯定できないからといって、そこから何も学ぶことがないわけでもないと思います。
戦時には他人を殺し、他人から奪うことを法は認め、戦争が終われば法はそれを禁じるという、国家の法がもつ欺瞞に対し、彼は怒り憤り抗っているように思えました。
奥崎という人物の善悪を論じたり、イデオロギー的なものの中に当てはめて語ることより、彼が自らを「異物」にすることで映し出した世界の歪みこそ、我々が考えなければいけないことなのではないでしょうか。
Amazonで観られますので興味があれば是非御覧下さい。(Huluでも観られるみたいです)