大阪市立木川南小学校・久保敬校長の素晴らしき提言 –自己責任論のはびこる社会に未来はない

20210524の記事アイキャッチ 日本維新の会

この国にはなんでもこうもうんざりするような話が多いんですかね

松井一郎市長 オンライン学習めぐり批判書面送付の校長に「社会人として外に出たことあるんかな」 – 東京スポーツ新聞社
 大阪市の松井一郎市長(57)が20日、緊急事態宣言下で市が独自に取り組んだオンライン授業に関し、大阪市立木川南小の久保敬校長(59)から送付された書面について言及した。  久保校長は18日、端末の配...

維新の議員は本当に碌なのがいないですな

松井一郎氏には突っ込みどころがありすぎますが、木川南小学校の久保敬校長の提言を紹介した方が建設的なので、そちらを紹介します。

大阪市立木川南小学校・久保校長の「提言」全文:朝日新聞デジタル
 大阪市淀川区の市立木川南小学校(児童数140人)の久保敬校長が、市の教育行政への「提言書」を松井一郎市長(57)に実名で送った。全文は以下の通り(原文ママ)。     ◇大阪市長 松井一郎 様大阪市…

松井氏には久保校長のこの提言を声を出して10回読み上げて頂きたい

 

自分は日本の学校制度に対しては、非常に批判的ではあるのですが、久保校長のような現場で日々子どもと真剣に向き合って、教育というものを考えている方の言葉を聞くと、自分が感じている学校制度への不安や不満など杞憂なのかもと考えさせられます。

 グローバル化により激変する予測困難な社会を生き抜く力をつけなければならないと言うが、そんな社会自体が間違っているのではないのか。過度な競争を強いて、競争に打ち勝った者だけが「がんばった人間」として評価される、そんな理不尽な社会であっていいのか。誰もが幸せに生きる権利を持っており、社会は自由で公正・公平でなければならないはずだ。

(中略)

あらゆるものを数値化して評価することで、人と人との信頼や信用をズタズタにし、温かなつながりを奪っただけではないのか。

間違いなく、教職員、学校は疲弊しているし、教育の質は低下している。誰もそんなことを望んではいないはずだ。誰もが一生懸命働き、人の役に立って、幸せな人生を送りたいと願っている。その当たり前の願いを育み、自己実現できるよう支援していくのが学校でなければならない

引用:大阪市立木川南小学校・久保校長の「提言」全文(朝日新聞デジタル) ※以下すべてこの記事から引用させてもらってます

この久保校長のこの提言には、当然多くの賛否が寄せられています。

もちろん自分も社会で長く働いて家族を守ってきていますから、世の中には綺麗事ですまない過酷な競争があることを知っています。

ですが、現実に競争があるからといって、競争することだけが正しいということではないはずです。現実の社会には、到底公平・公正とは言えないような、理不尽で汚らしい競争が渦巻いていることを、大人であれば少なからず知っているはずです。

世の中には競争があり、理不尽なこともある、だからこそ教育は、公正かつ公平で、理不尽な競争とは違った世界があることを、もっと子どもたち伝えていくべきだと自分も思います。

勉強が苦手な子、身体弱く運動が苦手な子、家庭環境がよくない子…そういった多様な子どもたちに、一律のテストによる競争を強いることは、多くの子どもに落伍者の烙印を押してしまい、子どもたちの無限の可能性を摘むことになりかねません。

昨今の日本では薄っぺらい「自己責任論」が社会に浸透し、テストのような一律の尺度で自分と他人とを常に差別化して、序列をつけることで自己を正当化することがまかり通る社会になってしまいました。

そしてその結果、誰もが自分の能力とは無関係に陥る可能性がある貧困という状況すら、「自己責任」の結果であると断罪して決して助けない社会になってしまったのです。

 

今や日本の労働者の4割以上が非正規雇用です。1労働力人口(非正規割合の推移) ~増える非正規、変わる非正規~(株式会社トランストラクチャ)

非正規雇用の所得は正規雇用に比べて低く、かつ正規雇用ほど法律で保護されているわけでもありません。低賃金の非正規雇用で、大きな貯蓄ができないながらも何とか生活していた人たちが、コロナ禍の影響で解雇されて一瞬で貧困状態に陥るというケースが数多く発生しています。

このような個人の努力ではどうしようもない事情で苦境に陥った人たちを、本当に自己責任と片付けていいのでしょうか。

生活保護という、この国に生きる人々に残された最後のセーフティネットも、そういった困窮する人たちの2割も救っていません。これは他の先進各国が6−9割の生活困窮者を救っている状況と比較すると異様です。

この背景には、生活保護を受ける人間は「頑張らなかった」、「努力しなかった」、つまり「苦しんで当然」の人間なのだ断罪して蔑む風潮があり、これがいわゆる「自己責任論」の本質です。

 

子どもたちに、教育の段階からそんなことを教え続けて、到来する社会とはどのような社会でしょうか。実社会が理不尽な競争社会になってしまっているからこそ、教育の現場ではそうではない人間の側面を育み育てる必要があるのではないでしょうか。

もちろん、処世の術としての技術を教えることが悪であるとは思っていません。ただ、それ一辺倒に傾倒していく日本社会や教育現場に対する危惧に関しては、久保校長の提言とまったく同意見です。

 

「競争」ではなく「協働」の社会でなければ、持続可能な社会にはならない。

久保校長のこの言葉にあるように、現代日本でばらばらになってしまった人々を、もう一度つないでいくためには、私たちはまずこの薄っぺらい「自己責任論」を超えて、共に支え合う「協働」の社会を目指していくべきだと自分は思っています。

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